Hanet3’s diary

日常生活で疑問に思ったことで気づいたことについて書きます。

才能とは何か

こんにちは、はねっちです。

 

 

これは私が大学生の頃ですが、ある疑問を抱きました。

 

 

それは

 

 

「才能」とは何かというものです。

 

 

当時の私では、

まだこの疑問を解消できませんでしたが

いまは私なりの答えを見つけたので、このブログに書きます。

 


私は当時、アニメやドラマをよく観ていました。

そこで、才能がある、才能がないという台詞を聞くたび、

才能とは一体何なのだろうかと疑問に思っていました。



私個人的には、才能と聞くと、

天賦の才を連想してしまうのですが、

 

 

今現在の私が考える「才能」とは、

自発的に何かをやろうと決めて、

それにおける努力を殆ど苦に感じず、

それどころか、それを楽しく続けられることです。

 


とあるアニメでは、

才能とは結果が出たか否かで有無が決まり、

結果が出れば才能があった、

出なければ才能がなかったという定義付けをしていました。

 


また、とあるドラマでは、

才能とは努力し続けることだと定義していました。

 

 

確かに、各々は才能とは何かという問いに対する一つの答えです。

しかしながら、

どちらも少しずれているのではないかと私は思います。

 

 

というのは、理由は二つあって、

一つ目は、そもそも努力というものは、

自分で続けようと思って続けられるものではありません。

 

 

そもそも何かにおける努力というのは、

それが楽しいから、好きだから、愛しているから

結果的に何年も続けられ、そのことが周囲の人から認知され、

「あの人は努力をしている」と思われるのです。

 

 

確かに、最初は嫌でも、

やっていくうちに好きになり

続けられるようになるという場合もありますが、

嫌なことを何年も続けられる人は殆どいません。

 

 

また、自分で「私は努力をしている」と思っている間は

それは努力ではありません。ただの自己満足です。

 

 

二つ目は、結果についてです。

結果とは、先程書いたような努力をすることで、

目に見える形か否かに関わらず、

後から自然と付いてくるものです。

 

 

ただし、その結果とは、

自分が思い描いていたものとは異なる形で現れる可能性もあります。

むしろ、そのケースの方が多いのではないかと私は思います。

 


例えば、司法試験で、弁護士の試験では不合格でも、

検察官の試験には合格するというようなケースです。

 

 

つまり、自分がやりたい事、やっていて楽しいと思う事をやり切ることで、

本意不本意に関わらず、

必ず結果は出るということです。

 

 

そして、周囲の人は、

その努力をしている姿や、その結果を総合的に見て、

「あの人には才能がある」と言うのではないかと私は考えます。

 

 

最後にまとめると、努力や才能とは、

極端に言えば、周囲の人による評価であり、

 

 

周囲の人から認知されて初めて

「努力している」や「才能がある」などと

思われる、またそう言われるものであり、

 

 

結果とは、自身が気づかないうちに、

自分の手の中にいつの間にかあるものである

というのが私なりの結論です。

 

 

 

 

 

最後まで読んで頂きありがとうございます。

では、また。